ヒップホップパーク:街のバッドボーイズ大集合

Festival Hip Hop al Parque、ヒップホップパークと言われるヒップホップのお祭りイベントがシモンボリバル公園で行われるということで結構前から楽しみにしていました。ボゴタ市が絡んだイベントで、先月も同じようにジャズフェスなるものに行ってからこの手の街のイベントを結構待ち望んでいる自分がいます。おまけに今回はヒップホップ、行かないわけにはいかない、と。

雨がパラパラと降っては止み、を繰り返すあまり最高の天候でもありませんでしたが、タイミングを見計らって同居するフランス人2人と出発。2人の音楽への嗜好は深く、1人は3歳からトランペットを吹き続けているという正統派の面に加えて、少し酒が入るとフランス語、英語、スペイン語で即興ラップし始めたり。もう1人はエレクトロミュージックのDJもする一方で、メモ帳にはぎっしりと自作の歌詞が埋められ、彼の場合は結構酔っぱらってから、かのメモ帳の意思達をラップに乗せ表現させていくわけです。と2人ともラップをするわけで、もちろんヒップホップは大好き。ワクワクする3人がタクシーを降りると、そこにはエントランスのセキュリティーチェック待ちの長蛇の列が。そして何かの違和感を覚え頭を巡らすと、反応したのは間違いなく偏桃体でした。大脳辺縁系に属する、あの危険や恐怖を呼び起こす対象に対して素早く反応するあれです。これ以上「殺伐」という単語が似合う状況はそうないだろうと。恐怖でしたね。みんなBボーイな服着てって、それはわかるんですが、おっかない顔つきなんですもの。それで長蛇の列に並びはじめ5分したらパンッパンッて銃声のような音がして長蛇の列がダーッと後退するわけです。セキュリティチェックする警官と若者が揉めてちょい収拾させるため一旦事を大袈裟にしたわけです。バイクに銃を持った援護隊の警官が一瞬にして集合し、銃声のような音が続き、軽くパニックに陥ったエントランス待ちの群衆は吠える吠える。警官は少しでも歯向かう民を警棒で容赦なくボコボコにする。とんでもないところに来てしまった。しかし怖いものみたさで引き返したくない。進む。そして厳重なセキュリティチェックの際、相棒2人のベルトが取り上げられるという惨事が起こる。本当に可愛そうだが運が悪かった。

安心した矢先、2つ目のセキュリティチェックポイント。まずい、このベルトだけは失えない。2人には悪いがこのベルトを失わざるを得ないのであればワタシは帰る。6年前に伊フィレンツェのイルビゾンテ本店で購入した牛側のベルトで、激しい私生活にも難なく耐えてきたホンモノだ。失えない。そしてベルトを確認される直前、ワタシは日本人だ安心してくれ、とIDをとっさに見せるとチェックは急に緩くなる。先代の日本人は本当に凄い。助かりました。漸く公園の巨大メイン会場へ。

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写真はこの2枚だけです。すいません。その会場のiPhone所持率は数%と想定され身の危険を感じたため必要以上にポケットからiPhoneを出せませんでした。

会場にはステージ背面に巨大なスクリーン、そしてステージから遠い人も楽しめるようにと中型のモニター4つが会場内に配置。抜群のコンディションと思われましたが、なんと警官が大量に駆り出されていたエントランス付近とは裏腹に巨大会場内には警察が1人もおらず、完全なる治外法権でした。タバコもライターをも取り上げる2回のセキュリティチェックを潜り抜けた多くの輩がここでドラッグをするわけです。ドラッグをするという表現を用いましたがコロンビアの名を汚し続けている白い粉とかあれです。違法に酒もたばこも売り歩く輩もいました。ここでいちゃもん付けられようものなら警察が助けに来てくるまでどれくらいかかるのだろうか。。祈りました。

ステージ上のイベントはラッパーによるライブ、DJタイム、ダンスバトル等が行われており、客席上のスペースではグラフィティをしてる人がいたりヒップホップの4大要素は完全に網羅されていました。その後、フランス人の女子2人が合流して各々大満足だったわけですが、段々暗くなる感じがなんとも恐ろしく2時間程度滞在して帰宅しました。

また、ライブは最高だったのですが、以前とは別の違和感を覚えたんです。ライブの音に合わせて体動かしていたのは見る限り我々外国人だけだったんです。誰もビートに乗って体を動かしていない。笑顔もない、というか目つきが悪い。でも拍手するところは拍手する。普段ならレストランでも踊りだす彼らが、なぜか。。

これは完全に個人的な意見ですが、思うに、単純にサルサ以外のダンスとなると消極的になるのではということと、ヒップホップに対する捉え方が違うのではないかという、この2つに集約できるのではないかと。

前者は言わずもがな、若者含む国民の大半がサルサ系の音楽を愛し、「いや、サルサよりテクノでしょ」、なんていうコロンビア人は聞いたことがありませんし、ヒップホップフロアではどこか恥ずかし気に踊っている感じがしないでもない。後者は、ヒップホップを1つの娯楽として捉える多くの日本人(プロは別ですよ)とは違って、多くの彼らにとってのヒップホップは生き様そのものなんだろうなって強く感じたのです。自分でビートに合わせて即興ラップしてみたことがある人はわかると思いますが、韻を踏むどころか言葉すら出てこなかったではないでしょうか、少なくともワタシはそうでした。少し慣れてくると言葉は出てくるけれども、瞬時に言葉を加工するのは難しく、率直な自分の腹の底に溜まった本音しか出てこない。これがヒップホップの、ラップの、面白いところだとワタシは思います。即興バトル見てもやはりその人間がしっかり現れますしね。言いたいことは、ヒップホップは自分を形成する劣等感なり倫理なり不満なりが密接に関わっているんじゃないか、ってことです。だから貧困の劣等感・倫理・不満がヒップホップに結びついて好きとか嫌いとかではなくて身近な自己表現方法なんだろうなって。例として、ボゴタ中に描かれるグラフィティのレベルは高いし、街中でよくサイファー(輪になって即興)しているし、バスの中でパフォーマンスしてお金を稼ぐ輩の中には即興ラップする子供も多くいるし。

日本のヒップホップの初期にもヒップホップ=おっかないお兄さんが好むもので、着る服も基本的にXLでオラオラが幅を利かせていたイメージがあるのは事実ですが、それが今はどちらかというとスマートにお洒落に着飾るヒップホッパーが多くおっかないお兄さんである必要はないわけです。その移行って時代の流れなのかと思っていましたが、どうやらコロンビアではそうでもなさそうです。流行り廃りとかでなくてもっと生活の根深いところにある生き様なので。そういった問題が解決しない限りスマートでお洒落なヒップホップは想像創造できないでしょうし。暴力という要素が薄い日本のヒップホップシーンがむしろ世界的に見ても珍しいのかもしれませんが、コロンビアの貧困を代弁するヒップホップ支持層から暴力要素を除くことができるのか。これも解決の糸口は彼らの生活に密着したヒップホップが握っているのかもしれません。

無理やりしめましたが、感じたままです。凄い複雑な気持ちになりました。

そもそも日本のヒップホップすらまだおっかないお兄さんであるという認識の方は是非下記の日本語ラップを聞いてください。最高にお洒落ですよ。

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