捕鯨について意見を求められたら

本件、海外に住む日本人には避けて通れない問題だと思います。ボゴタに住み始めて4か月、遂にこの日が来ました。今のスペイン語のクラスでは環境問題に関して自分の意見を述べたり、他人の意見を受けてどう思うか等の、議論での受け答えフレーズ・文法を学んでいて、例文に捕鯨に関する会話が出てきました。授業前に目を通していたワタシは、これに関して意見聞かれるんだろうな、と思って考えてました。なんと答えようものか。

約5年程海外に留学・就業していて指を数える程度に意見を求められてきましたが、これ正直勘弁してほしいですよね。だって鯨なんて日常生活で食べることはないし、興味ないし、乱獲するな野蛮人って云われても知らないからって話じゃないですか。だけど、人間って面白いもので、否定されると反論したくなるんですよね。これは日本の伝統であり文化である、内政不干渉だと。食べたことなくてもそんな反論してまう。しまいにはグリーンピースを否定する。少なくともちょっと前までワタシはそう考えていたし、どうしてもそういうバイアスのかかった記事に目が向いてしまう(今でもグリーンピースは市民代表の顔したアメリカの裏の政党だと思っていますが)。そもそも日本語で検索すると自然にバイアスがかかる。(英語で検索しても逆方面にバイアスがかかる。)

日本は悪役という大前提

確か欧州に留学していた時に、ディスカバリーチャンネルかナショナルジオグラフィックのテレビで捕鯨船とシーシェパードが海上で「戦争」している場面をたまたま観ました。当然シーシェパード側視点の映像で、彼らは鯨を守るために悪党をやっつける正義の味方なわけですが、驚いたのはその「調査目的という名目で実際は商業用に乱獲する」野蛮人である日本人が、まさに顔含む全身黒づくめでかつ防弾ジョッキも来て、銃をシーシェパードに向けて威嚇してたんです。まさに悪役。日本の調査団としてもシーシェパードはテロリストの一面があるので、ここまでアグレッシブな護衛をせざるを得ないのでしょうが、結構衝撃でした。こんな強烈な映像見たら、誰も本件で日本の味方になるわけないよな、ってある意味納得できました。

我々はどう見られているのか

これ、相手の態度やスタンスにもよるのはもちろんですが、捕鯨の話をされると日本を、日本の文化を、自分たちを、否定されたように感じてしまうことがあるんです。「いや、僕は捕鯨に反対だけど、純粋に日本人が考えていることを知りたいんだ」っていう姿勢の人からは、こちらの意見も理解しようって気持ちが伝わるので何も感じません。一方で、「絶滅しそうな鯨をなぜそこまでして食べたがるの?意味がわからない(野蛮人。。)」って人からは、やはり侮蔑の気持ちが伝わるんです。でも我々も同じように、韓国人が犬食べると聞いて、は?気持ち悪いって大半の人は思うと思うんです。だって、それは我々からするとあり得ない事だから、犬が可哀そうだから、ちょいと考えられないわけです。でもそれは民族も異なれば食習慣も違い、当たり前が違う。だから捕鯨反対派が、絶滅するといわれている(少なくとも信じている)鯨を食べ続ける日本人を理解できないのも同じで、まず我々は彼らからどう見られているのかを最低限理解する必要があると思います。

二次情報で理論武装するのは止めた方がいい

一次情報の中で判断しないといけないのにどんなにググっても辿りつくのはバイアスのかかった二次情報までで、自分の意見を断定するなら双方の言い分の裏にあるデータを視て定量的に判断したいです、ワタシは。それを見たところで専門家ではないワタシが正常な判断をできるとは思いませんがね。それができない前提なら、仮定をもって意見云うしかないわけです。「もしあの数字が確かであれば、〇〇と思います。」みたいな。だから捕鯨に関して自分の手で体で調査するのは自分を納得させる意味で大事ではありますが、他人を納得させる客観的な絶対的なデータはそもそも存在しないと考えた方がいいと思います。どんな硬いデータを使用しても相手側は別の硬いデータを使用するだろうし。

坦々と現状説明、そして相手をリスペクト

じゃあどうすればいいのか。ワタシは素直に日本の現状を説明すればよいのではないかと考えています。戦後貧しい中で貴重な食糧の役目を果たしたこと、捕鯨に固執している人はあくまで捕鯨することで利益を得られる一部のおじさんたちであること、しかし大半の特に若い日本人で鯨を食べたことがある人がそもそも少ないという現状、そもそも鯨を提供しているお店に遭遇することがないこと(探せばあるけど)ぐらい大半の日本人にとって親近感の湧かない問題であり、一方で捕鯨を文化にしてきた村々がありこれに関しては捕鯨反対派もリスペクトすべきであること、既に偏見を持った状態で日本人を説得しようとしたところでそれを快く受け入れようとする日本人は少ないこと、過激な行動に出れば出るほど我々は嫌悪感を抱くこと。この中で間違っている情報があると云われたところで、なぜ間違っているのか定量的に反論できる人はそういないでしょう。情報が正しい正しくないということより、相手にリスペクトがあるか否かの方が人を動かす上で重要になってくるんじゃないかなって思います、個人間の話では(もちろん国際法で禁止されているので、事実上日本は外交で負けたって話なんですけどね)。だから捕鯨に関して意見を求められたら一旦これでジャブして相手の情報の持ち合わせと論理的思考ができる人なのか判断して、敵わないと思えば彼らの意見を理解しようと(リスペクトをもって)努めればいいと思います。

個人的には、以前東京でフランス人の友人に連れられて食べに行った鯨が馬の肉みたいで美味しくて、鯨を贅沢品として受け継ぐことは日本の食文化を更に豊にするものだと思っているので鯨を食べることには賛成。だけど本当に絶滅しそうならやはり捕鯨に賛成はできません。絶滅しそう、というデータが正しかったら。普通に日本人はまずいことをしてるってわかるわけじゃないですか。これは外国人に指摘される前に日本でしっかり議論されることが健全な国の在り方だと思います。相手が過激なテロ集団だからつい反発してしまうし、彼らのやり方は決して擁護できるものではないけれども、鯨は日本人のものだけではないということを一度考え直す機会は必要はあるのかなと。

ま、結局スペイン語の授業では時間がなかったのでさらっと捕鯨問題は今回素通りされたんですけどね。。。(*’▽’)

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